かき氷の歴史を「まもる」ために。かき氷の仲間と「つながる」ために。おいしいかき氷を「ひろげる」ために。

あまづらの削り氷

1-かき氷とあまづらに関して

「かき氷」は、一体いつ頃から日本で食べられるようになったのか。
現在、日本で見つかっている「かき氷」に関する最も古い記述は、平安時代中期に清少納言(生没年不詳)によって書かれた「枕草子」の中に残されている。

「あてなるもの。(中略)削り氷にあまづら入れて、新しき金椀に入れたる。」
これは「上品なもの。削った氷にあまづら(甘味料)かけて、新しい金属製のお椀に入れたもの。」と訳されており、清少納言は「細かく削ったかき氷に甘い蜜をかけた物」を、大変雅びやかで上品だと書き記したのだ。

当時の氷は、冬の間に雪解け水を使った池で自然の冷気によって凍らせたものを、氷室と呼ばれる穴に運びこみ、わらびの穂や茅を敷き詰めた上に並べて、更に氷全体を覆って保管したといわれている。非常に貴重で高級だった氷は、夏になると貴族の元へ運ばれ、貴族たちは氷を手のひらに乗せたりして涼を楽しんだようである。それを細かく削り、初めて口にしたのが清少納言だったのかもしれない。

また、この歌が書かれた平安時代中期頃は甘い調味料は大変少なく、はちみつ・水飴・あまづらは高貴な身分の者でしか口にすることができない貴重な食材であった。
高級な氷に貴重な蜜をかけて食べるかき氷は、当時の貴族たちの中でも限られた人しか口にすることのできない「あてなるもの」であった。

2-あまづらのかき氷の再現

「あまづら」に関しては蔓草の樹液あるいは甘茶蔓の汁と言われているが、清少納言がどの植物を食したのかは正式にわかってはいない。
この「あまづらをかけたかき氷」とはどんなものなのか?現在でも食べることができるのか?という疑問が毎年多く寄せられていたが、何年探してもこれというかき氷を見つけることができなかった。

この度「一般社団法人 日本食文化会議」理事長で、日本の食文化に詳しい松本栄史先生に甘茶蔓を使用して当時食べられていた蜜を作っていただき、「あまづらのかき氷」を再現することとなった。

甘茶蔓を叩き潰して煎じ作られた蜜は、少し土の香りがするがほのかな優しいあまさで、氷と一緒に口にすると
まずは根菜独特の香りが、その後いつまででも舌に残るような天然のあまさが舌に残る。

松本氏によると、「今回のかき氷は、甘いものを食べ慣れた現代人が食べても美味しいと思えるように少し濃い味付けとなっているが、当時の貴族たちが口にしたものは再現したかき氷よりもずっと薄かったと思われる」とのこと。甘いものを口にすることがほとんどなかった平安貴族たちにとっては、それでも随分甘く濃厚な蜜に感じられたに違いない。

3-「あまづらのかき氷」はどこで食べられる?

今回の再現で「あまづらのかき氷」が現代でも再現が可能であることがわかり、さらに味わい深い蜜であることもわかった。今回のレシピのかき氷が店舗でも提供できるよう検討をし、追って提供店をお知らせしてゆきたい。

4-松本栄史プロフィール

松本 栄文(まつもと さかふみ)

花冠陽明庵主人、作家。国内最大級の「食」の著作家ネットワークである㈳日本食文化会議理事長として日本食文化の普及に尽力する。花冠陽明庵の姉妹店「茶屋花冠本店」では、江戸時代後期に宮中にて食べられていた宇治金時を再現。古文書から読みとく日本食文化の魅力を今に伝える第一人者として日々活躍する。

著書『日本料理と天皇』ではグルマン世界料理本大賞2014最高位「殿堂」および創設最高賞を受賞。著書多数。

松本 栄文